最愛の人
私の最愛の人を亡くした。昨夏のこと。
お父さんの優しい微笑み、いつでも以心伝心の理解者の存在、何があっても受け入れてくれる心の居場所を失くして、どうやって生きていけばいいのか分からない。
父の法要でお世話になったお坊さんに泣きすがった。
「大切な人を失ってこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか?」
お坊さんは言った。
「わからなくていいんじゃないでしょうか?生きる意味を分かって、生きていく必要があるのでしょうか?」
私が生きる意味とは、今まで何だったのだろう?意味があるとすれば、それは父であり、母であった。私の中身はいつまでも親の愛を必死に求め続ける子供だった。二人の幸せだけを切に願う、それだけの存在だった。それが私の根底にある生きる意味だったのだろう。
その愛情が育ったり、歪んだり、行き場を失ったり、探したり、見つけたり、そういうことを繰り返し、もがきながら、私の生きる道は形作られてきた。全ての動機の根底は父であり、母への愛情なのだと気づく。そして今、生きる「意味」をなくし、途方に暮れている。
生前、父に聞いたことがある。
「死んだらどうなると思う?」
父は言った。
私達の間に無の時間がしばらく流れた。
二人の間に流れた「無」の世界に父は行ったのだろうか。その「無」の中には色んなこと、色んな思いが溶け込んだ、限りない「有」であるための「無」に感じた。その豊かな「無」はきっと居心地がいいだろう。私が愛した父という一人の人格は消え溶けて何もかも無になって、安らぎを覚えているだろうか。「おつかれさま」と声をかける。「よくがんばったね」「もう私のことも忘れてしまう?それとも、私のこと見守ってくれようと?もし見よったら私がダメダメってことがばれてしまうね。でもお父さんの子やけん仕方なかろ?ちゃんと側におってくれようと?どこか知らんところにいってしまったと?どこにいってしまったと?お父さん」
私が知らなかった父が私の中に様々な顔をして現れ、新たに生まれては、消え、また死んでいく。すべてが無の中に溶けて出していく。
「人は死んだらどこにいくのでしょうか?」
お坊さんはまた言った。
「わからなくていいんじゃないでしょうか?誰にも分からないし、いつかその時がきたら分かるんですから。」
その通りだと思い、お父さんがどこにいるのか考えることをやめた。いつかお迎えが来る、その時までのお楽しみ。その時のために、生きていける。
私と父は一心同体のようだった。私は父の心が手に取るように分かったから、なぜかいつも泣けた。父の心が痛くてヒリヒリとして、私はいつも守ろうとした。父も私がまだ言葉にできない心の奥がよく分かった。父はいつも優しい目と微笑みで私を勇気づけた。私達はよく語り合った。「あ」と言えば、「あ」から「ん」まで読み取り合うことができた。
父の病気が優れない時は決まって私も具合が悪かった。頭痛があるたびに父が遠くで苦しんでいると、苦しさを噛み締めた。
私は私の半分をなくした世界に今、生きている。申し訳なく思う。でもいなくなったわけではない。どこかに存在している。
蝉の声に目眩がするほどの喪失と暑さの中、福岡一の大きな花火大会の日、お父さんも花火になった。それから不在の暗闇を鮮やかな紅葉が彩り、枯れ落ちて、それを真っ白な雪が包み隠し、すべてをゆるされた。ゆっくりと溶けていく雪解け水になれるようにと、私は父のいない世界を少しずつ受け入れていく。
どうやって生きていけばいいのか分からなくても、生きることは絶え間なく流れていく。
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